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zoom RSS 家内、中米を旅するH−コパン遺跡

<<   作成日時 : 2018/05/16 20:59   >>

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5月16日(水)晴れ 最高気温31℃ 最低気温24℃ 南風のち南東の風 海上風速8m

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「    」内は家内の言葉です。

3時50分ようやくコパン遺跡に到着。

コパン遺跡
 
マヤの主な遺跡の中で最南端に位置し、石碑や祭壇、神聖文字の階段などに、
数多くの華麗な装飾を残していることで有名な遺跡です。

紀元426年ヤシュ・クック・モを初代にマヤ王朝が興り、
820年ごろまで約400年間にわたり16人の王によって支配されました。

初めに、石彫博物館を見学。
まず目に飛び込んできたのは、ロサリオ神殿の原寸大レプリカ

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これは、16号神殿の下に埋まっているものです。
古代マヤの王達は過去に造られた神殿を埋め
その上に新たに自分の神殿をたて加えていったそうです。

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石碑には王の像とマヤの文字が刻まれています。
これは11代王のもの、まだ丸彫りの立体感はありません。


祭壇

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上面に王による王朝の成立が文字で記され、
横面には各面4人ずつコパン歴代王16人
全員の肖像が彫られています。


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神殿16の前にあったものです。

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双頭の蛇の祭壇

12代王の時代に造られたコパン傑作の一つがこれ

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水鳥が魚をくわえています。流水の表現も迫力があります。

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蝙蝠もありました。

続く13代王が有名な「18ウサギ」と呼ばれるワシャクラフーン・ウバク・カウィル。

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即位は695年。
これはティカルのハサウ・チャン・カウィール1世が
カラクルムにようやく勝利した年です。
抗争に明け暮れていたティカルと違い、
繁栄を謳歌していたコパンで18ウサギ王は即位しました。

そして彼の時代に最盛期を迎え、
丸彫りとも高浮彫りともいわれる芸術様式を
完成させたといわれています。

裏のマヤ文字の中には古典期の4大都市であった
「コパン、ティカル 、カラクルム、パレンケ」の
紋章文字も刻まれています。

球戯場の上部の飾り

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コンゴウインコの飾りがたくさんついています。

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コンゴウインコはコパンのシンボルです。
ホンジュラスの国鳥でもあります。

(参考)

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コンゴウインコ

球技場完成から4か月後の738年4月、
18ウサギ王はコパンの属国であったキリグアの反乱によって
斬首されてしまいます。

王が殺されたことで国王の権威は失墜し、
14代王の時代には貴族との共同統治制度に
変化していきます。

これは当時の会議場

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博物館にはコパン遺跡近郊のセプルトゥーラスからの
出土品も展示されています。
貴族たちの住居跡と言われています。

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王の権威が低下する中15代王は、神聖文字の階段を完成させ復興に努力したようす。
そして、16代王は神殿16を完成させ、コパン歴代の王を刻んだ祭壇を置きました。
しかし結局16代王が記録の明らかなコパン最後の王となりました。

いよいよ遺跡の中に入っていきます。

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もう閉園時間に近づいているので他の観光客は帰るところです。
私たちは、許可をもらっているようでゆっくり見て回ることができました。

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コンゴウインコがたくさんいました。餌付けしているそうです。
コンゴウインコは太陽の象徴とされ、コパンでは重要視されていました。
七面鳥もうろうろしていました。

グラン・プラザ
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背が低い4号ピラミッドがあります。
石舞台になっています。

ここにはたくさんの石碑が並んでいます。
大半は13代ウサギ王のものです。

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王自身が様々な神に扮した姿や儀礼の際の姿が
彫り込まれています。

亀の獣型祭壇

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王の「若さ」と「老い」の2つが彫られた石碑

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地中に埋まっていたため赤い色が残っています。

球戯場

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マヤ古典期最大だそうです。
建物の壁を飾るのはコンゴウインコ


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球戯場を抜けると正面にアクロポリスに上る階段
左にテントをかけられた神聖文字の階段が見えてきます。

神聖文字の階段。

13代王が建設を開始し、15代王が755年に
完成させたもの。高さ30m、72段

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初代王から15代王の即位まで、コパン王朝の歴史が
2500文字以上のマヤ文字で刻まれています。

発見当時は63段だったそうですが、マヤ文字解読以前に復元されたため
下の15段以外は、めちゃくちゃに石が積みなおされ
せっかくの文字が文章として成立しなくなってしまったのだそうです。

頑張って解読が進められたそうですが、
世界最大のジグソーパズルともいわれているとか。

アクロポリスに上がる階段

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15代王の石碑と祭壇が前にあります。

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階段は登れないので右横の丘になっているところから登ります。
実際は、そこも階段の部分ですがまだ掘り出されてないところです。

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球戯場と神聖文字の階段が見えます。

アクロポリスにある広場

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東側は、コパン川が流れており川の浸食によって大きく削られています。

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ここは王や貴族が儀礼や政務を行うための空間。
広場を囲むように神殿群が建ち並んでいたそうです。
会議場もここにありました。

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踊るジャガーのレリーフ

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これもジャガー、首がとれています。

広場の向こうに王族の住居跡

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西側の広場には神殿16がそびえています。
最後の16代王が建設したものです。

この下には古い時期の神殿が何層にも重なっているのが発見されています。
博物館で見たロサリオ神殿もこの下に埋まっています。

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歴代16人の王が刻まれた祭壇もここにありました。
これはレプリカ。
ピラミッドの中段には髑髏が並んでいるのが見えます。

神殿11
これも16代王が15代王を祭るために建てたもの

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この神殿で有名なのが下のレリーフ。

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猿のような顔で、腰には蛇が巻き付いています。
手に持っているのはマラカスのような楽器。

暗黒神とも呼ばれ、死にかかわる神とも、
風の神ともいわれています。

遺跡を巡り終える頃はすっかり日が傾いていました。

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騒がしく鳴いていたコンゴウインコもおとなしく木にとまっていました。

国境を越えてグァテマラに戻るころはすっかり日が暮れていました。

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リオ・オンドにあるホテルに着いたのは9時半
長い1日でした。
でも一番行きたかった遺跡を見ることができて大満足です。


(感想)

「古代マヤの王達は過去に造られた神殿を埋め
その上に新たに自分の神殿をたて加えていったそうだ」とか。

そうであるならば、何代もの神殿が層となって、重なり
歴史的遺物として、堆積しているのだろうか。

ロサリオ神殿に色が塗られているが、これは、現代の
職人たちの勝手な妄想に基づいた作品なのだろうね。

(追記)

↑の感想に対し、家内が「実際のようです。
神殿の下に調査用のトンネルが掘られており、
当時の彩色が残っていたのだそうです。
漆喰で塗られていたことが分かっています。」
と伝えてきた。

石碑などたくさん作られたようだが、その時代の石職人
の腕のすごさ、あるいは芸術的、宗教的、権力的な才能に
恵まれた人間が存在にしていたことに、驚く。

(記事関連)

家内、中米を旅する@−ニカラグア

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家内、中米を旅するAーニカラグア (グラナダの観光)

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