家内、ポルトガルを旅する⑦ーテンプル騎士団、「最もポルトガルらしい村」

12月14日(水)曇り 最高気温22℃ 最低気温21℃ 北風 海上風速15m

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ネットよりお借りしました。

『』内は家内の言葉です。

6日目(10月29日)
 
ナザレからトマールへ。
約75km1時間15分の道のりです。

トマール
 
キリスト修道院
1147年、リスボン北東のサンタレンをイスラム教徒から奪回した功績により、
アフォンソ1世から土地を与えられたテンプル騎士団は、堅牢な城塞と聖堂を築き
ポルトガルでの拠点としました。

テンプル騎士団→「十字軍の時代に聖地エルサレムで設立された騎士修道会(軍事力を備えたカトリック修道会)です。聖ヨハネ騎士団・ドイツ騎士団と並んで、三大騎士修道会のひとつに数えられます。

日本語では「神殿騎士団」「聖堂騎士団」などとも表記されます。修道会としての正式名称は「キリストとエルサレムのソロモン神殿の貧しい戦友たち」を意味します。

テンプル騎士団は、十二世紀から十三世紀にかけて、聖ヨハネ騎士団と共に十字軍国家における実質的な常備軍としての役割を果たしました。西欧各地に寄進によって数多くの所領を持ち、豊富な財力を背景に、聖地におけるイスラム教徒との戦いに従事しました。」(グレゴリウス講座)
 
しかし、1312年にテンプル騎士団が禁止されるとディニス1世が創設した
キリスト騎士団に引き継がれ、ポルトガル王室からエンリケ航海王子を
はじめとする代々の団長を迎えました。


山の上に頑丈な城壁に囲まれた修道院があります。
城門をくぐって修道院の入り口までかなりの距離です。
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12世紀から16世紀まで5世紀にわたって増改築が続けられた修道院は、
ポルトガル最大の規模を誇っています。
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テンプル騎士団聖堂
12世紀後半に造られた、ビザンチン風ロマネスク様式の聖堂。

16角形の円堂になっていて、騎士たちはすぐに戦いに行けるように
馬で回りながらミサに参加したそうです。

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墓の回廊
15世紀にエンリケ航海王子が増築した回廊のひとつでゴシック様式。
修道士たちの墓所となっているそうです。
アズレージョは17世紀のもの。
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エンリケ航海王子の住居だった宮殿跡
 
1420年から40年間ここで暮らしたそうです。
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主回廊
 
16世紀、イタリアの影響を受けたルネッサンス様式で造られています。

1581年、ポルトガルを併合したスペイン王フェリペ2世が
ここでポルトガル王フェリペ1世として戴冠したのだそうです。
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キリスト騎士団の聖堂の西壁にある「大窓」
マヌエル様式の最高傑作といわれています。
上部にキリスト騎士団のマルタ十字と国の紋章、
さらに、ロープ、鎖,サンゴといった大航海時代を
象徴するモチーフが刻まれています。

私は、とくに窓の横にある騎士団を象徴する
ベルトのモチーフが気に入っています。

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寝室
この廊下の両側には40の宿坊が並んでいます。
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ミシャの回廊
かつては、大きな貯水池があったそうです。
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西側は、オリーブオイルを貯蔵する甕が並ぶ部屋や
パンを焼く大きなかまどなどがあり、貧しい人々にパンが配られたそうです。。
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壁を飾るアズレージョ
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彫刻文様
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午後は、トマールから北東175km離れた
モンサントの村へ長距離ドライブ。
 
オリーブやコルク樫が茂る平原を行くと、
突然ごつごつとした岩山が現れます。
この山の中腹に見えるのがモンサントの村。
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モンサント
 
中世にはテンプル騎士団の統治下に置かれ、頂上には城が
築かれていて要塞としての役割があったそうです。

現在は、100人ほどの人が住む「最もポルトガルらしい村」と
いわれる小さな村です。
バスを降りて、急な石畳の道を登ります。
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結婚式の準備で、豚の丸焼きを作ってるところに遭遇。
 
新郎新婦は、ずっと上のほうまで登って記念写真の撮影中でした。
こんな急斜面、あのドレスで登るなんて、土地の人じゃなきゃ
できないなと思います。
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石造りの家が岩にへばりつくように建ち並んでいます。
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大きな岩を壁や屋根として利用した家もあります。
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上に行くほど巨岩を利用した家が多いようです。

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どんどん上に登って、頂上の城跡が見えてきました。
私は、ここで登るのはあきらめて、村散策に切り替えました。
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こんな山の上でも犬や猫も一緒に暮らしています。
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普通の暮らしがあります。
道端に今は使われなくなった
石の洗濯器、洗濯板付きです。
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岩の間にも小さな隙間を利用して
植物が植えられています。
ちょっとした野菜も混じっています。
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バラ、アジサイ、ひまわり、フクシャなど
きれいに花を咲かせていました。
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ここから、約200km3時間かけて今日の宿泊地コインブラに向かいます。

(感想)

「自分が絶対正しい」なる恐ろしく馬鹿げた無知が今も
宗教戦争を引き起こしている。

モンサントの村。
厳しい環境のようだが、その中で暮らす人たちが
充実感を持ち、幸せに過ごしているなら、どこに住もうと
いいではないか。」


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