家内、「古代エグナティア街道」の旅に行く⑥ーテッサロニキからトルコに向けて

12月27日(木)曇り 最高気温23℃ 最低気温21℃北風のち北東の風 海上風速13m

6日目
 
テッサロニキからエグナティア街道に沿いながら
トルコに向けて東に進みます。
 
カルキディキ半島を横切ると
大きな湖が2つ見えてきます。


画像

半島を抜けるとエーゲ海沿いを走ります。


画像


アンフィポリス
 

エーゲ海に注ぐストリモナス川沿いに位置し、
町は紀元前5世紀には建設されていたそうです。
パンゲオ山の金鉱山、交通の要衝にあることからア
テネの植民地になります。

ペロポネソス戦争を経てその後マケドニア王国の
フィリップス2世によって支配、ローマ、ビザンティンと
続きますが6世紀ごろには荒廃していったとされています。

画像

ストリモナス川の近くで発見された
ライオン像

画像

町の発掘はほとんど進んでいません。

最近、アレクサンダー大王の墓ではないかと
される丘が見つかっています。

画像

発見されたのはヴェルギナのフィリッポス2世の墓が
埋まっていた丘の5倍はあります。

残念ながらギリシャの財政難で
全く調査発掘は進んでいません。

博物館の見学

画像

この博物館はスパルタの将軍
ブラシタスの墓の上に立っています。


画像

ライオン像が発見された時の写真もありました。

画像

可愛い女性の像が多かったです。

画像
画像


画像

ガラス製品

画像

陶器

画像画像画像   
たくさんの展示物がありましたが、少々飽きてきて
ちゃんと記憶していません。

金鉱があったバンゲオ山脈を
見ながらさらに東に走ります。

画像

急な坂をどんどん下って海沿いの町に出ます。

画像

カヴァラ
 

紀元前6世紀にパロス島からの移住者によって建設された町。

ネアポリス(新しい町)と呼ばれ、マケドニア、ローマ支配のもと
フィリピの重要な外港として発展。
 
東ローマ帝国時代にはハリストポリス(キリストの町)、
オスマン支配時代になり、島を意味するカヴァラに改称
現在は、北ギリシャではテッサロニキに次ぐ第二の都市で、
北部ギリシャ産たばこの重要な積出港です。

画像

アイギスニコラウス教会


画像

町を見下ろすように城塞が建っています。

画像
 
水道橋カマレス

16世紀、城塞に水を引く必要から建造されたローマ式上水道。
 
画像

トルコ式の家屋が残っています。


画像
画像
 
ムハンマド・アリの家と騎馬像

画像

ここからの眺めはなかなかのものでした。


画像

港に戻って昼食。

画像
画像
 
 ムール貝のリゾットとサラダ


画像

タラのグリル、まあその大きさに驚きです。
添えてあるガーリックペーストが
おいしかったです。


午後は、北西約15㎞にあるフィリピ遺跡に向かいます。
途中寄り道

聖リディア教会
画像

50年、パウロが伝道旅行でヨーロッパで最初に洗礼を行った場所に建てられた教会。


画像


フィリピ遺跡
 
町は、タソス島の住人により創設され
クレニデス(泉)と呼ばれていました。

その後フィリッポス2世の支配下と
なり町はその名にちなんでフィリピ
と改称されます。
 
アレキサンダー大王の死後ローマの支配下に
おいても町の繁栄は続きました。
 
紀元前42年にオクタヴィアヌスとアントニウスの連合軍と
ブルータスとカッシウスの連合軍が戦ったフィリピの戦いの
場所でもあります。
アウグストゥス帝となったオクタヴィアヌスの庇護のもと
町はさらに発展していきます。

ローマ帝国下においてフィリピの町はバルカン半島を横断して
ビザンティウム(イスタンブール)に至る
エグナティア街道の要衝として、パンゲオ山の金鉱山の富に
寄って栄える商業都市としてさらに反映していきました。」
この街のフォーラムは、ローマに次ぐ広さを誇ったそうです。


「フィリピの考古遺跡」として2016年に世界遺産に登録されています。
画像


財政難のため発掘は進んでないそうです。

画像

劇場
手を叩いてみるととても音響がよかったです。

画像


博物館の展示物から
冠やら装飾品など金細工の貴金属が
展示してありましたが省略。

画像

首と胴体が別々に展示されてる意味がここでやっとわかりました。
権力者が変わったとき首だけ挿げ替えて飾ることができるように
してあるのだそうです。

画像

バジリカ(聖堂)の柱頭の飾り
 
画像
画像

フォーラム
 
演壇、泉、評議会、商店、図書館などが
あったところだそうですが。

画像

大浴場があったところにはビザンティン時代に
建てられたバジリカの柱が残っています。

画像

いろいろ説明を受けますがどれがどれだか
イメージできませんでした。
ただ瓦礫が転がってるって感じです。

画像

石畳のエグナティア街道の一部が残っていました。

 
画像
画像

フォーラムの全景をパノラマで撮ってみました。
後ろにパンゲオ山が見えます。

画像

今夜は、クサンティの町で宿泊
夕食はホテルのバイキングでした。

画像
画像
 
ビールはいつもミソスではなくアムステル
ホテル前はマーケット、今回の旅で初めて
スーパーで買い物できました。

(記事関連)

家内、「古代エグナティア街道」の旅に行く①ー現在のアルバニア、マケドニア共和国、ギリシャ、トルコ

https://1120kura.at.webry.info/201811/article_5.html

家内、「古代エグナティア街道」の旅に行く②ー「アポロニア遺跡」、マケドニアまで

https://1120kura.at.webry.info/201811/article_6.html

家内、「古代エグナティア街道」の旅に行く③ーマケドニアの街「オフリド」終日滞在

https://1120kura.at.webry.info/201811/article_9.html

家内、「古代エグナティア街道」の旅に行く④ーマケドニア共和国からギリシャへ

https://1120kura.at.webry.info/201812/article_1.html

家内、「古代エグナティア街道」の旅に行く⑤テッサロニキの観光(1)

https://1120kura.at.webry.info/201812/article_6.html

家内、「古代エグナティア街道」の旅に行く⑤テッサロニキの観光(2)

https://1120kura.at.webry.info/201812/article_8.html

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック